西原理恵子の「あなたがいたから」

公開日: : 本 / book

今回は、コースワークから離れて、漫画家の西原理恵子さんのことを書いてみます。西原さんからは仕事や家族について、そのどちらに関する発言からも影響を受けてきたこともあって、久しぶりに振り返りたくなりました。
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西原さんの本をはじめて読んだのは、昔、待ち合わせ先の本屋さんで友達にもらった「はれた日は学校をやすんで」が最初でした。
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イラストはご自身でも言っているようにへたうま路線ではじめて見た時は、なんか微妙だ、これはおもしろいのかなー?と思ったものです。でも、その作品の中にときより散りばめられている悲しみと安堵が入り交じった情景に、いっきに引き込まれる独特の力があって忘れられない箇所がいくつかできた。

「はれた日には学校をやすんで」第4話ジョン

年老いて病気になり吐き続ける愛犬ジョンに寄り添いながら、
「ぼくはできるだけジョンのそばにいた。ぼくはジョンが死ぬことにゆっくりと心のじゅんびができていった。」
「ジョン、おまえもう しんだほうがええのかなあ」

ジョンは次の日しんだ。
ぼくはほっとして泣いた。

ボロボロになっても生きようとしていたジョンに、もう死んだ方が楽になれると言う飼い主の少年。子供ごころなら、過去に思いを馳せて泣くのが普通なのかと思っていたので、ほっとして泣いた彼の気持ちがどこからくるのか、それから気になっていました。

この箇所をずっとおぼえていて、帰省したときに妹に話したら、そういえばNHKで西原さんと夫の鴨志田さんの話をやっていて、泣けて仕方がなかったとのこと。

あの作風の裏側にある彼女の経験に関心を持っていたこともあり、番組を見たくなりました。

単行本化された本を読み、録画された番組もじっくり見てみました。

西原さんは二人の父親をアルコール中毒とギャンブルによる自殺で亡くしています。母親は、そんな「負の波」から逃げ出すようにと、全財産から自分の最低限の生活費だけ(2割り程度)を差し引いて、残りの100万円を渡して東京へ行くように送り出す。その配慮があって西原さんは武蔵野美術大学に入学する。

コースの学生たちの技術の高さに驚き、売り込みに行った編集者には「よくそんな絵で売り込みにくるね」と嫌味を言われても、それが自分の強みとして好きな絵で生計をたてることをどん欲に目指していきます。
「へたにはへたで生き方がある」と、小さなイラストの仕事からギャンブル漫画、水商売などさまざまなバイトや仕事をしながら、自立した漫画家へと着実に成長していくのです。
「仕事はありがたいものですから、ありがたくやらせていただくしかなかったです。
私、今でも思うんですよ。(中略)『やりがいがない』とか、『自分の実力はこんな仕事じゃ発揮できない』ってケチをつけるでしょう?
その理屈がわからないですよね。せっかく仕事をもらったのに、どういう心構えで言うんだろうって。
本気で言ってるんなら、笑っちゃう。
そんなヤツの仕事が、いい仕事になるわけはないよ。もらった仕事にガタガタ文句を言うな。
そんな態度で、自分が本当にやりたい仕事にたどり着けるわけなんかないよ、って。」(41p)

と、これが西原理恵子さんの人となりをあらわすいくつかのエピソードですが、この番組と本のテーマは、そんな仕事に対する情熱と同時進行に存在していた夫である鴨志田さんとの出会いと結婚、別離にあります。

西原さんは20代のこと絵がかける仕事ならどんなことでもしていくという中で、ギャンブルを描く仕事では取材を兼ねてやっていて自分もギャンブルの道へ引き込まれてていました。
5000万円をギャンブルで失うまでになった西原さんを救ったのは、戦場カメラマンの鴨志田さんでした。西原さんは、彼と取材先のミャンマーで偶然、本来の通訳の代役として出会う。
彼は、ギャンブルにおぼれて抜け出せない西原さんを旅に連れ出し、「戦場ではみんな命をかけている」とお金を命と賭けるもののスケールの違いを西原さんに実感させます。
 再び鴨志田さんから強い印象を受けたのは、百万円を持って一緒にカジノに行った夜のことだった。
 西原さんは、大きいカネを張っている”格好いい自分”を、鴨志田さんに見せたかった。
「女なのにすごいでしょ。こんな大きいおカネを一回に張って、負けても顔色ひとつ変えないのよ」
 ところが、気が付くと、鴨志田さんは、空ろな顔でつまらなそうにして立っている。
「何よ、男のくせにギャンブルもできないの」
 と悪態をつく西原さん。
 その時、鴨志田さんが発した思いもよらないひと言が、西原さんのその後の人生を大きく変えることになる。
「つまらないよ、こんなの。何が面白いの? あのさ。本当のギャンブルだったら戦場が一番だよ。みんな、命懸けてるんだからさ。僕と一緒に行ってみない? 君の知らない世界を見せてあげるよ」
 その言葉を聞いた途端、西原さんは、目の前のダイスやカードがすごくつまらないものだと思えた。答えは出ていた。
「それ、行く行く。連れて行って」
 今でもふと、思うことがある、と西原さんは言う。もしあの時、鴨ちゃんに出会わなかったら、私はどんな人生を歩んでいたのだろうか。もしあの時、ついて行くと言わなかったら、あんなにつらい思いをせずにすんだのにと。
戦場の貧しい村を一緒にまわっている最中に、撮られたふたりが笑顔の写真は、ほんとにいい写真で幸せそう。その後、すぐに二人は結婚することになる。

「アジアの人は、泣くことと笑うことがとても上手なんだよ」

どんなに貧乏で悲惨な暮らしでも、アジアの人たちは笑っていた。鴨志田さんが撮った戦場写真の中でも同じ。人々はやはりみな、笑っていた。生まれてから70年も80年もひたすら貧困の中で暮らし、戦争や内戦に翻弄され続け、人生で一つもいいことのなかったようなおじいちゃんやおばあちゃんが、カメラを見て笑っている。

そんな生きる強さこそ、鴨志田さんが西原さんに見せたいものだった。

どん底でこそ笑え。

でも、鴨志田さんは、あまりに悲惨な経験を戦場でしたため、日本に戻ってからPTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、飲酒に逃げ込むことになってしまうのです。

西原さんは7年間鴨志田さんの傍らで、アル中に苦しむ姿を支え続けます。しかし、家庭で暴れののしり続ける生活に耐えきれず、遂には手を離す覚悟をしたのです。
二人の「子供を守るために、死んでもらおうとおもった」と西原さん。
アル中は病気なのだから、医師が見るべきで、もっと早く手を離してあげられれば、助かったかもしれないのに、とも。

鴨志田さんは、別居後、病院に入退院し続けながらも、家族に戻りたいとの一心で遂には克服に成功する。アル中って、非常に治癒率が低いということをここで初めて知りました(10〜30%諸説あり)。

しかし、せっかく治って戻ってきたら、今度は末期がんに冒されていることが判明します。西原さんたちは、悲しみの中にも、家族で笑って過ごすことを約束して最期の数ヶ月を一緒に暮らしはじめます。

最期に立ち会う時、西原さんは最期まで笑って送り出そうと決めていたのに、泣き止むことができませんでした。

そんな西原さんに、ふたりの子どもが最初にしてくれたことは、思い切り変な顔をして、お母さんを笑わせて元気づけることでした。「どん底でこそ、わらえ」を実行してくれたのは、ふたりの子どもだったのです。

西原さんの漫画「毎日かあさん4」の中で、夫を送った後、こんな一コマがある。

「神さま、私に子供をどうもありがとう。」

この番組と本を読んで、少年がジョンに言った「おまえ、もうしんだ方がいいのかもな」、「ぼくはほっとして泣いた」の意味が彼女の歩んだ人生の延長線上にあることを知りました。

きれいごとが嫌いという西原ワールドは毒がいっぱい、でも子供に対する愛情があの絵の中に詰まっていて笑え、そして時々泣ける。

「あなたがいたから」。これはシリーズのタイトルですが、西原さんの話を聞いてそういえる存在があるのはすてきだなと思います。

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