出会い方
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ゆく未知/考えごと
夕方に品川区内のスーパーによく出かける。
この前、小学校中学年くらいの女の子を連れたお母さんが、スーパーの入り口付近で子供になぜこの問題ができないのかと問い詰めていた。
どうやら、算数の問題を出したが子供がうまく答えられず、母親は怒り出しようだ。
子供は、ひどく困惑してうつむいていた。おそらく、こんなことが毎日繰り返されているのだろう。
果たしてこの子が、この先どのような学び方をしていくのか少し心配になった。学ぶことが楽しいとなるところがあるといいけれど。
そんなことを改めて思ったのは、医師をしている友人が歴史というのは、人間だけではなく生命の歴史から見ることで新たに見えるものがあると入っていたからだ。
人類もその中の一部であるが、その人類はたくさんの知恵を生み出し、それが学ぶべき対象として学校で教えられていたりする。バラバラに見えるそれぞれの教科にも、それが必要とされた物語りがそれぞれの時代、人にあった。そういうものの流れを切り取って学んでも、本当は面白くない。なぜそれが必要だったのか、その根源から知るときっとわくわくするほど面白い。
最近、自分の仕事界隈では、あらゆることが「デザイン」の範疇と捉えられている。ほんの5年も前なら、自分でもデザインは美大の範疇などと思っていたものだった。しかし、今は、体験をもデザインする対象として扱っておりそれをUser Experienceの頭文字をとってUXといったりする。そう考えると、勉強との出会い方もデザインの領域である。何か、緊張や競争の中で学んだ勉強はその緊張がなくなったときに続けるモチベーションを持たないような気もする。人生の学びはマラソンであるから、卒業後の方が人生では長いし、どれだけでも本当であれば変わっていける。
件の友人は、患者の親御さんから「どうしたら東大へ入れますか」と相談されることもあるという。そういうときに「お母さんは勉強が好きですか。もしそうでないなら、それは無理です」と答えるそうだ。
この話を聞いて、僕はスーパーの前でうつむいていた親子のことを思い出したのだった。好きなことはあんな風に叱って教えないよなと思った。だって、面白いものだから。
これは、その例だけではなく、あらゆる学びに関わることは導入の体験で何を感じるかで継続のモチベーションが変わる。そして、それが短期で燃え尽きるものなのか、長期間続くものなのかもある。そして、それは時に遅咲きで子供時代を終えてからやってくることもある。そして、社会人になってからの方が実は学ぶことは多いのである。おもしろい、おもしろいと言って、本人はまるで遊びのように思えてやっている人ほど、爆発的に伸びている気がする。だから、取り組むこととの出会い方とその後のつきあい方はとても大切なのだ。つまらないことはやはりやりたくないし、できるだけ楽しいことを自分の周りに集めていけるといい。
追記:写真は、愛知県にある自分のかつての通学路。釣り、ゲーム、野球で頭は満たされていた。
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