「知る」「信じる」「感じる」とは。加藤周一さんの議論を振り返って。
この手の話で思い出すのは、学生時代に読んだ今は亡き加藤周一さんの「科学の方法と文学の擁護」である。
社会科学、自然科学、一部の人文科学などの”科学”という名がついている分野では、その導入時に科学的なスタンスの定義について学ぶものである。
その科学的に物事を認知することを整理するためには「知る」、「信じる」、「感じる」のそれぞれについて考察する必要があると、加藤さんは著書の中で述べている。
それぞれの違いと科学的思考について考えてみる。
まずは、「知る」について。
加藤さんは、知ることは、二つに分離可能だという。一つは、日常生活の中で常識的に知っていることと、もう一つは、科学的に体系かつ包括的に知っていること。
著書ではやかんを例にしている。
「やかんに水を入れてお湯を沸かすと大体、いつもやっていれば、どのくらいで湯が沸くか知っている。20分たてば、美味しいお茶が飲めるとか。これは、日常生活の中で獲得した常識的な知識と言える。」
一方の科学的知識は、数式を使って表す。
P=T/V
これは、義務教育で習う気体の圧力を測る式(理想気体の状態方程式)で、日常的に知っていた知識は、この式で簡潔で万国共通の汎用性のある文字に置き換えられて表現される。
式になると、難しくなった気がするが、式も言語といえる。
自身を振り返ると、中高のとき抽象的な数学を現実社会での現象につなげることができずに学ぶモチベーションを持てずにいたものだった。でも、統計学を学ぶようになってから、急に人や社会との接点が具体化して親近感を持ったものである。数式は、自然界の様子を記述できるだけはなく、人の行動や社会経済活動も表現できる優れた言語だということを知った。
例えば、田中将大投手が150キロのボールを投げたとする。日常的な会話なら、「150キロのキレのあるストレートが打者のインサイド高めに投げ込まれた」、というくらい。もし、球筋を具体的に記述し表現したい場合それでははっきりしない。
でも、数式とデータがあれば、高さ数センチのところを速さや力学の式を使って厳密に記述することができる。それをコンピュータシミュレーションソフトに入力すれば、かなり近いところまで再現ができる。
科学的であることとは、再現性が保証されていることである。誰がやっても、同じやり方をすれば、再現できる。偶然ではないことを証明する。それも科学の重要な点である。
もう一つは、車のアクセルを「踏んだ」から「走る」という現象の同時作用(共変)が認められる必要がある。
そこまで言えると、相関があると科学の言葉では言う。
じゃあ、因果関係はというと、それはもう少し条件がつく。
時間的に「アクセルを先に踏んだ」ことが先にあって、その後に結果として車が「走った」ということが認められないといけない。それに、もしかしたら車の後で誰かが押してないかという他の要因をちゃんと確認したかまでしないといけない(第三の要因のコントロール)。
まとめると
・科学的に知るということは、体系かつ包括的に知っていること。
・再現性があること。
・再現性を確保するために必要な三条件。
1. 観察対象の共変動(←相関関係)
2.原因が結果より時間的に先行している(←因果関係)
3.その他の要因のコントロール(←因果関係)
<1だけなら相関関係がある、1,2,3の全てが揃っていると因果関係があるといえる>
これらの条件から離れれば、それは科学的とはいえず「信じる」「感じる」という態度になっていく。
「科学的に知る」ということがメカニズムとしてほぼ明らかになっているというのは、1,2,3の条件をクリアしている必要があって、これはかなり厳しい条件なのである。会見の中で、科学者の方々の発言で断定表現が少なかったのは、このような理由による。
更に、反証科学という考え方があって、そうではない理由を否定することでしか、そうであることを証明し得ないという考えもあって、余計にまどろっこしいのである。面倒くさいけど、そういう手続が科学の方法にはある。
僕は社会科学の作法をそんな感じで学んでから新卒で会社に入ったから、やっぱりぼんやりとした結論を出しがちで「現場を動かすために、もっと強く言い切れ」と先輩社員によく言われていたのが懐かしい。
そういうのって、ある社会のルールみたいなものである。社会全体の中で機能する完全なものではないが、再現を知ることができれば予測ができて予防もできるし解決もし易いという点で有効な場面が多い。
また次の機会に信じるについても論じてみたい。
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