「東京100年散歩 明治と今の定点写真」鷹野晃を読んで、品川の海側のことを思い出す

公開日: : 本 / book

この写真集は、100年前後の明治時代の東京と現代の変化した町を対比で見せている。しかし、過度に説明的にし過ぎないで、そこに田山花袋、永井荷風、芥川龍之介らの町にまつわるエッセイが載っていることで時代の文脈の中へと入って行きやすい。時々間に入ってくるエッセイは、さすがにその次代随一の作家であるだけあって、風景や人々の様子がいきいきと描かれている。
たとえば田山花袋は、「今から四十五年、六年前の日本橋を個々に描いてみようと思う」とはじめる。三越の旧名越後屋などの呉服店の番頭が丁稚の小僧を「オウイ、オウイ」と呼んでは用事を頼んでいた声が響いていた日本橋、当時の流行歌を口ずさんで通った日本橋、文章による想像と古い町並を写した写真で想像がかきたてられる。

この写真集でも紹介されている国立国会図書館の写真アーカイブに古い東京を写した写真が多数にある。

この中に、品川駅を写したものがあるのだが、現在とのギャップに驚く。

品川より芝浦を望む 国立国会図書館より

私は2003年から6年ほど品川に勤務していた。当時、会社は高輪側と港南口側に分かれて存在していて、必要に応じて行き来していたものだった。先輩社員の中には、山側、海側という表現を使っていたが、なぜそのような表現をするのか、まあ地図でみれば遠からず品川駅は海に近いとしか思っていなかった。

しかし、この写真を見ると、品川駅は海岸に面していたことがわかる。港南口から芝浦方面の多くは海岸が埋め立てられてできた場所のようだ。ビルの上から見える、車が行き来する東海道をただ見て気ぜわしさを感じたものだったが、100年昔は波の満ち干きを眺めて海苔を取る漁師たちのいる牧歌的な風景だったと思うと驚愕である。

そういえばと、以前、ソニーの高輪独身寮があったところが取り壊されていた時に海側を撮った写真を思い出した。

高輪はその名の通り高い山になっていて、その斜面から見えるのは今では高層ビルばかりだが、そこには海岸と海があった。そのことは立ち並ぶビルが海岸線にほぼ添って存在していることから納得する。

Photo 27-01-2015 19 46 59 (2)

ソニー高輪寮から品川海側を臨む 

面白いなと思ったのは、姿形が変わっても、ちょっとしたきっかけがあればその過去について想像をふくらませることができるということである。写真とか、エッセイとか、想像の余白を使って自分たちのルーツを感じながら今の町を楽しむというのも都市の中に流れるもうひとつの時間が感じられてなかなか趣があると思う。

ラッシュで混みあう品川の東海道線ホームから潮の満ち干きが見えて音が聞こえたら、それは風景としてとてもミスマッチなのだけどなんだか和みますよね。

 

参考リンク

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